水の面(おもて)に浮かび、空を見上げると、そこには雲がなびき、そして遥かどこまでも青い空が拡がっています。
私たちが暮らす、地表を覆う膨大な量の大気の組成は、窒素(N2)が78.1%、酸素(O2)が20.9%、アルゴン(Ar)が0.9%、そして二酸化炭素(CO2)が約0.03%で占められています。
私たちが、普段、呼吸というものを意識するとき、それは大気中の20.9%の酸素を、鼻や口から吸って、体内に取り込み、隅々の体組織で栄養を燃やし、そして廃棄物としてできた2酸化炭素をまた鼻や口から吐き出している、というふうに思いがちです。
決してそれは、間違っているというわけではないのですが、大気中に実は78.1%も含まれている窒素については、知ってはいるものの、呼吸としては意識をしていないか、あるいは意識していても、体内を素通りする、私たちの体にはゼンゼン役に立っていない、言ってみれば、まあどうでもいいようなガス、というのがせいぜいのところではないでしょうか。
私たちが、地表で呼吸する大気の圧力は1気圧(1013hPa=760mmHg)です。
従って、私たちは1気圧の大気に囲まれて暮らし、1気圧の大気を呼吸して体内に取り込んでいます。
そして、私たちのからだは約70%が水分で、あと残りの大部分がたんぱく質でできています。
上記の図は、私たちが大気を体内に取り込んだあと、大気を構成するガスのそれぞれが、どのように変化するかを、それぞれの圧力(= 分圧)で示したものです。
確かに、私たちの肺に取り込まれた大気のうち、緑色の部分、すなわち酸素だけが、肺胞で分子となり、動脈を経て体組織に送られ、そこでエネルギーの燃焼に使われ、そしてその結果、心臓に戻る静脈血の圧力が全体として下がり、いわゆる負圧の状態になっていることが見てとれます。
この酸素が、体組織で燃焼に使われて生じる、大気圧に対しての負圧部分(=オキシジェン・ウィンドウ)が、物理的に肺胞での静脈血に含まれる2酸化炭素を排出させ、そして呼気に含まれる酸素と置換させる、いわゆるガス交換の働きを成り立たせています。
では、その間に窒素の方はどうなっているかというと、吸気から肺を経て、分子となり、延々と体内の血液や組織を循環をした挙句の果て、肺に戻り、呼気として排出されるまで、一切の変化はありません。
そして, その体内の窒素の圧力(=分圧)は、地表における大気中の窒素の圧力(=分圧)といつも完全に釣り合いが保たれています。
言い換えれば、地表で暮らす私たちの体内の水分は、いつも窒素で飽和されている状態であるということができます。
私たちの、外呼吸、つまり肺における2酸化炭素と酸素のガス交換が、体内でのエネルギー燃焼によって消費された酸素の負圧(オキシジェン・ウィンドウ)によって正しく行われるには、それ以外のガス、この場合は窒素の分圧に変化があっては不都合です。
窒素、ナイトロジェン、元素記号 ”N” は、私たちの体の水分以外の約20%、すなわちタンパク質を構成するためには、なくてはならない元素です。
それにもかかわらず、私たちは、自分のからだを通過してゆく窒素をうちに取り込んで、そして体を作るタンパク質にしてしまうことはできません。
地表で暮らす私たちにとって、それは、呼吸を行うための、原理的な条件であり、地表で呼吸をして、命をつないでゆくための原則、言ってみれば命の掟のようなものでもあるとも言えます。
水面で、頭をもたげて見上げた大きな青い空から、目をもとの水面に戻すと、そこにはすぐ鼻の先から、延々と平たい水の面(おもて)が、遥か彼方の水平線にまで拡がっています。
果てしなく広く拡がる、この地表の70%以上を占める水面の下に、淡々と深く水を湛える海のなかでは、微小で原始的なバクテリアから始まり、果ては大型の海洋生物、そして今、水面に浮かんでいる私たちにまでに至る、延々と繋がる生命のドラマ、宿命としての生死の連鎖がダイナミックに展開されています。
大気に含まれる窒素は、海洋の、身近なところでは、シアノバクテリア (藍藻)の一種であるネンジュ藻、また、表層の温度が比較的高く保たれている南シナ海などにおいては、やはりこれもシアノバクテリア の一種、ユレモの仲間でもあるトリコデスニウムなどの、まさにミクロの原核生物たちによって、還元され、食物連鎖の始まりであるアンモニア(NH3) が、ひたすら合成され続けています。(窒素固定)
ネンジュ藻
トリコデスニウム
(参照:https://www.aori.u- tokyo.ac.jp/research/news/2018/20180706.html) (参照:https://www.jst.go.jp/pr/announce/20140422/index.html)
アンモニアは、海の水に溶けることにより、食べられるアンモニウムイオン(NH4) となり、それをまずは、おなじみの緑色した植物プランクトンたちが、同じように海に溶けている栄養分(リン・ケイ素など=栄養塩)とともに取り込みます。
そして植物プランクトンたちは、燦々と降り注ぐ太陽光のエネルギーを全身で謳歌しながら(光合成、CO2+H2O)、有機物(C6H12O6など)を作り出します。 (炭素固定)
植物プランクトンの炭素固定
(参照:https://www.jamstec.go.jp/j/about/)
植物プランクトンの作り出す有機物、このブルーカーボンとも言われるミクロの食物から、すべての海の動物たちの、延々と繰り広げられる生存のドラマ、食物の連鎖が始まっています。
食物連鎖ピラミッド
これらの植物プランクトンの活動領域である海洋の表層に潜り、水面に浮かび、時には空を眺めることもできる私たちは、当然、海からの食の恵みをも受けており、そこに生息する多くの動物たちと同様に、その生と死の連鎖の中で、いつも一生懸命に頑張って生きて行こうとしている、と言えます。
そして、もう一つの忘れてはならない重要な側面は、上記の図の左側の、これらの様々な生き物が、生存中に排泄したり、挙句に死んだりしたものが、また分解されて、元の栄養塩にまで回帰してくるループが、紛れもなくあるということ。
この、様々な海の動物たちの排泄物や死骸の分解といった、回帰のループを担う大仕事もまた、実は、名も知らぬミクロのバクテリアたちによって行われています。
決して派手ではありませんが、ダイナミックで大切な海の生命の循環の、欠くことのできない大切な一部と言えます。
この分解が行われる過程で、海洋のなかで再生された窒素ガスは(脱窒)、海面に戻り、そこから大気に回帰し、天高く空いっぱいにまた登ってゆきます。(窒素循環)
(参照:(https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/15/2/15_2_98/_pdf)
いっぽうで、動物たちの排泄物や死骸は、次第に凝集し,これらのミクロのバクテリアや動物プランクトンたちによって、ゆっくりと消費され、分解されながら,また栄養塩に戻りつつ、海洋の深いところへと降りてゆきます。
どこまでも、どこまでも深い海の中へと。
地表を広く大きく覆う海洋のうちで、最も深いところとされているのが、私たちの日本列島を南方に、たかだか約1200キロほど南へ辿ったところ、グアムやサイパンなどに近い、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵です。
ここの深さは、なんとおよそ10920メートルほどにも及んでいます。
そんなにも深く、果てしない闇のような世界で暮らす生きものたちは、いったいどんな姿をしていて、そしてやはり、みんな一生懸命に、ガンバって暮らしているのだろうか、と思うダイバーの方々も多いと思います。
最近では、2012年3月にアメリカの映画監督、ジェームスキャメロン氏がここへのソロダイブを、7年もの年月をかけ、巨費を投じて作り上げた、重装備の潜水艇で試みています。
しかし、せっかく地上の叡智をふり絞って作り上げた潜水艇も、超高圧下(1093気圧!)という大深度での過酷な条件には、しっかりと耐えきることはできなかったようです。
外部に取り付けた、油圧で作動するアームが液漏れを起こし、ふんわりと積もり積もったやわらかなシルトの海底を引っ掻き回し、そして視界不良に陥り、挙げ句の果て、アレコレと生物を採集することもままならなくなって、結局は予定を切り上げて、とっとと浮上して来ざるをえなかったとのこと。
しかし、ともかくも無事に生還したキャメロン氏が、待ち構えていたカメラの前で語るには。。
”そこはとても荒涼としていて、とても不毛なところ、とても隔離されていて、私の感じでは、すべての人間的なものから完璧に隔離されたところ、まあ言って見れば1日かけて宇宙に行って、そして帰ってきたような感じでした” とのこと。
そんな深海で、彼が分厚いサファイアグラス越しに見たものは、海の分解屋さんとも言われているような、プランクトンの死骸などをせっせと食べている、体調2.5センチほどのヨコエビ君の仲間(カイコウオオソコエビ)しかおらず、かろうじての成果としては、深海の柔らかいゼラチン質のような海底の泥から採取した、数種のバクテリア類を持ち帰ることができたようです。
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カイコウオオソコエビ君
(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/カイコウオオソコエビ)
とっとと浮上してゆく、モノモノしい塊を見上げて、深海のヨコエビ君たちは、ふーん、あれもなにかのうんこだったのかな~、とか言いつつ、またそこいらのプランクトンの死骸などをガシガシと食べ続けたことでしょう。