海と乙姫  

あなたがダイバーなら、もしかして、”竜宮の乙姫の元結の切り外し”をベタベタとからだのあちらこちらにまといつかせながら、海から戻ってきたことはありませんか?

私たちが、いつもはアマモと呼ぶ、この水の中で緑色にかがやく、凛々しいイネの葉をもつ海草(うみくさ)は、太陽の光が届く、浅い海にその棲処(すみか)を定めています。

そして、水の中に棲んでいながら、そのいのちの営みである呼吸の仕方は、陸の上のイネやムギのそれと、まったく変わりません。

アマモは、その葉や茎にある気孔から水の中にある酸素をとりこみ、取り込まれた酸素は細胞の膜を通リ抜け、そこで共生している葉緑体が、光合成で作り出してくれる炭水化物を燃やし、エネルギーを得て、そしてその結果生じた2酸化炭素は、また細胞膜を通して気孔から水の中に放出する、というように。

そのようにしてアマモは、水の中でも健やかに緑の葉を伸ばし、白く清々しい花を水の中で咲かせ、小粒でシブい黒い実もつけ、子孫を増やし、そして枯れた葉は水底(みなそこ)に還し、といういのちのサイクルを、淡々と繰り返しています。

そうしてたいがいは、大きな群落、いわゆる藻場を作って、独自の生態系を水の中で豊かに営んでいます。

アマモは、ほかの草や木とともに、いやむしろ、他に先駆けて一旦は陸に上がったものの、なぜかそこで生き続けることをためらいはじめ、そしていつの間にかまた、海の中でのいのちの営みに戻ってしまった、ちょっと変わりものの植物のようでもあります。

この藻場に頻繁に出入りする常連には、ダイバーの皆さんにはおなじみの、カメやジュゴンがいますが、ふと思えばこの連中も実はまた、同じように一旦は陸に上がったものの、やっぱり海のほうがいいな~、とか思いはじめ、そして結局はまた海に戻っていってしまった生きものたちでしたね。  

アマモが作る藻場に集う多勢の生きものたちにとって、そこはなぜか、何ものにもかえがたい、それぞれのいのちが繋がりあって、そして豊かに育まれている素晴らしいところのようです。

よく晴れた日の藻場に、私たちダイバーが、ふと何かに誘われるように立ち寄るようなことがあれば、そこは緑色に染まった視界の中に、いく本もの太陽の光の束が、水底(みなそこ)にまで届いていて、そしてそれが水面(みなも)の波に遊ばれてキラキラと揺れているはず。

ほとんどみんな小さすぎて、私たちの肉眼ではとてもその目鼻立などを確かめることはできませんが、藻場の緑いろに染まる視界は、そこが体内に葉緑体を同棲させている植物プランクトンやその仲間たちで、ほぼぎっしりと埋めつくされていることの証しです。

これらの多くの植物プランクトンの仲間うちには、ちょっと信じられないかもしれませんが、葉緑体がこの世に現れるさらに以前の遠い遠い遙かな昔、今からなんと数十億年以前という、とほうもない大昔から光合成を始めて以来、少しも変わらずに今に至っている、微かな生命も実は混じっています。 

そのお方の名前は、誰がつけたかユレモ(藍藻=シアノバクテリア)というのですが、そのこれまでにすごしてきた、まるでお伽ばなしのような永い歳月を想うと、それはただの単なる微細な藻の一種などというよりも、むしろ、透きとおった緑いろの細いからだで光を求めてゆらゆらとゆれ泳ぐ、まるで純で無邪気な妖精たちのようでもあります。

そしてまた、時折困りものとしてニュースなどに登場するかの赤潮を作り出す張本人、珪藻(けいそう)や渦鞭毛藻(うずべんもうそう)のなかまたちも、その堅苦しくゴツイ名前とは裏腹に、そこではただの大人しいすっぴん顔で、みんなと一緒に何の悪気もなくワイワイと戯れているはず。

実際のところ、珪藻の連中はユレモよりもう少し洗練された、キレのある丸や四角や線形の、いわば幾何学的とも言えるデザインの風采をしているのですが、もし顕微鏡などで見る機会があれば、そのそれぞれの姿は、やはり透き通った清々しい緑いろの、なんともオシャレで綺麗なまるで生きているアクセサリーの数々のようでもあります。

ところがいっぽうのこと渦鞭毛藻のなかまたちとなると、これがちょっと様相が変わっています。カタカナ名をアルべオラータという、まるでイタリアンマフィアの一族でもあるかのような名前がくっつけられたこの連中が寄り集まってうごめく様(さま)は、なんともアヤシイあばれ者の軍団のようでもあります。 

なぜならこの連中の姿かたちは、これまでの清々しく透きとおった緑いろの植物プランクトンたちとはまったく打って変わり、それぞれが縦横(たてよこ)に2本の鞭(むち)のようでもありまた尻尾(しっぽ) のようでもあるものをピロピロっとからだから生やしていて、それを上手に使って盛んにあっちへ行ったりこっちへ来たり、あんたたち、ちょっとキモ可愛いけど、ほんとーに植物なのっ?と思わせるほどにスピーディかつエネルギッシュに水の中を泳ぎまわっています。 

そして、何と言っても私たちダイバーにとってはナイトダイビングでおなじみ、夜の海の中でキラキラと月光のカケラを散りばめたようにファンタジーを演出してくれる夜光虫も、なぜかそこにしらっと混じっていて、多くのほかの植物プランクトンのなかまたちとあちらこちらで戯れあっているはず。

このように、わたしたちダイバーが、ふと立ち寄っただけのアマモの作り出す藻場の世界は、一見すると、単に明るい光が差し込む緑いろした水ばかりのところにように見えていますが、本当のところは、とても活気にあふれた、多くの植物プランクトン、微かながらもとても力強くたくましい生きものたちで満ち溢れています。

これらの大量の海の植物プランクトンが、日本の島々を囲む海はもとより地球の表面の70%以上を覆う広大な海のそこかしこで、燦々として眩い太陽の光を受け、図らずも足かけ数十億年という、気の遠くなるような永い年月をかけて光合成をし、生産し続けてきてくれているのが、すべての生きもののいのちの炎を燃やす酸素です。

私たちは普段何気なく空を見上げ、そこにある大気を呼吸しているんだ、と単純に思いがちですが、実は大気中の多くの酸素は、海とそこにいる植物プランクトンたちからの大切な恩恵として、このようにしてはるかな太古の昔から、延々と私たちにもたらされてきています。 

もしそうであるならば、私たちは大気を呼吸しているのではなく、むしろ海を呼吸している、とでも本当は言うべきなのかもしれませんね。

そうして私たちが海を呼吸し、海からの恩恵である酸素をからだに取り入れて、体の隅々の組織の細胞に届けるとき、私たちのからだの中にいて、その酸素を使っていのちの炎を燃やしてくれるている、これまた大勢の微かな生きもの、それがミトコンドリアです。

私たちダイバーが、たとえば藻場のような、光の溢れる緑いろの水のなかにポカリと浮かび、静かな呼吸を何となく繰り返していると、ふと、このような植物プランクトンたちの働きぶりが、とても愛しいものに想われてきて、そしてそれに応えるかのように、からだの中から何やら華やぎのようなものが湧きあがってくるのを感じたら、それはもしかすると、からだの内なる大勢のミトコンドリアたちの、すぐ身の回りで戯れている植物プランクトンたちへの暖かい微笑返しなのかもしれません。

そう、それもその筈、原始の海に現れた微かないのち、植物プランクトンたちは、実は、私たちの体の中にいていのちを支えてくれている、もうひとつの微かないのちであるミトコンドリアと共に、それこそ片時も離れずに数十億年という、まるでお伽ばなしのような遥かな時空を旅して今の今にまで至っています。

それは、昔々の大昔、高熱の水蒸気がこもる荒々しくもパワフルな地球上に、ようやっと水をたたえはじめた原始の海の片隅、太陽の光が燦々と舞い降りる浅瀬で、透明な緑の妖精のようなユレモ(=藍藻・シアノバクテリア)たちがふと目を覚まし、そしてせっせと光合成を始めた頃を始まりとする、遥かな悠久の物語とも言えるでしょう。

それより以前の太古の地球は、今の私たちにとっては想像を超えた灼熱地獄のようで、大気中には2酸化炭素と水素しか呼吸するものはありませんでした。

しかし驚くべきことに、そこにはすでに生きる強い意志と、逞しい野心を共にしっかりと身に携えた微かな生きもの(=メタン生成古細菌)がいて、そして、淡々と繁栄のときが来るのを待ち続けていました。 

彼らのその生きる意志と野心とは、後々の私たち人類へと続く悠久の生命の歴史に刻むべき数多くの種の拡大と、その飛躍的な進化をもたらすことのできるプログラム、つまりすべての生きものの設計図(=DNA)を収めた、壮大な玉手箱のことを意味しています。 

彼らは生きてゆくために、そんな灼熱地獄のような環境にもめげずに、そこにある2酸化炭素と水素をためらう事もなく受けいれて呼吸し、黙々と長期間にわたり、炭素の化合物の分子を生産し続けていました。 

次世代の天然ガス資源として、最近話題になっているので、ご存知の方も多いかと思いますが、私たちが潜る島影の海の底に続くあたり、ダイバーにとっては、ほとんど足元のその先あたりともいえるような場所に、大量に見つけ出されてきている、メタンハイドレートがその時の彼らの遺産です。

余談になりますが、数十億年前の灼熱地獄のような、太古の地球にはじめて現れた、そんな極めて微かな生きものが、彼らが持つプログラムを、悠久のお伽話のような時空を経て駆使し続けたあげく、ようやく現在の私たち、人類という、ひとつの種にたどり着くことになるのですが、その人類である私たちが、なんと今の今になって、その当時からの彼らの遺産をもって、私たちがこれからも生きてゆくための火として燃やす日が来るであろうことを、彼らはその時からすでに、ちゃーんと予知していたのかも知れません。

ところでいっぽう、ユレモたちが太陽の光が燦々と差し込む浅瀬で、光合成によって、あちらこちらでそれこそワイワイガヤガヤと酸素をつくりはじめ、大気中にも海のなかにも酸素がだんだんと満ちてきたころ、今度はその酸素を気後れする事もなく、見事に呼吸し、反対に2酸化炭素を放出していのちの営みとしてしまう、ミトコンドリアの祖先(=αプロテオバクテリア)がようやくおもむろに現れてきます。 

彼らαプロテオバクテリアは、先住の厳しい環境下で、2酸化炭素と水素を呼吸するメタン生成細菌にとっては危険極まりなかった、酸素というガスを上手に取り込み、生きるためのエネルギーを作り出ことができる、まさに絶妙ともいえる巧みな技を身につけていました。 

ダイバーの皆さんならよくご存知と思いますが、ちなみに酸素はその名のとおり、触れたものを辺り構わず酸化させてしまう働きを持つ、とても激しい気性のガスです。 

過剰なイオンを纏った酸素(=活性酸素)が増えると、本来の殺菌作用を通り越して、からだに悪さを及ぼし始め、シミ・ソバカスから始まって、老化現象やらなにやらひどいことになる、といったような、なんだか脅し文句のような広告宣伝も、近頃は街にたくさん溢れていますね。

さて、新たに酸素ガスのある環境下に現れてきて、その酸素を上手に使いこなすことのできる能力を持つαプロテオバックテリアは、先住のメタン生成細菌が、その厳しい環境下で持つことを余儀なくされた、種の拡張や進化、そして繁栄の願いなどを詰め込んだ壮大な玉手箱などと言ったものは、あえて持ち合わせてはいませんでした。

その代わりに、と言っては何ですが、彼らは自らに与えられた、いのちの炎を正しく燃やす、という使命を、ひたすら淡々と守り抜いてゆくための最小限のプログラム(=mtDNA)、祖先から子孫へと、正しくいのちの連鎖を、誠実に紡いでゆくという、言ってみれば永遠の母性のようなプログラムを閉じ込めた、小さな玉手箱のみを大事に抱え持っていました。

そのような新しく現れた、酸素が大好きで、2酸化炭素を放出することを誠実におこなうαプロテオバクテリアと、先住の、タフで野心満々ではあるものの、酸素が大嫌いで、2酸化炭素が大好きという、メタン生成菌との出会いは、これまた決して偶然ではなく、いつしか必ず訪れるべき、いわばいのちの歴史の中の一大イベントであったようです。

あるいはもしかすると、それはその時、緑の妖精ユレモ=シアノバクテリアが、ちゃっかりと仕組んでしまった、実は何とも画期的なお見合いイベントであったのかも知れません。

なぜなら正にその時から、私たちの地球の生命の、悠久の発展と進化の歴史の幕が、厳かに上がることになるのですから。

太陽の眩い光をキラキラとはじいて、ゆらゆらとゆれ泳きながら、見た目は純で無邪気で透き通った緑いろの妖精が、おそらくはなんとも賢そうに、こう言ったのです。

ちょっとアンタたち聞きなさい。

太陽はこの星を、いのちが宿り華やぐ、緑の星にすることにしたの。

なぜあたしがココにいるかというのは、そーゆうわけだから。

この星の酸素はあたしがつくる。

最初っからのいのちのメタン生成菌さん、だから気を楽にして聞いてね。

小さいものから大きいものまで、か弱いものからマッチョなものにもなれる、壮大な玉手箱を持ってるアンタは、これからは全ての生きものの、いのちの発展と進化に専念しなさい。

同時にもうひとりのアンタ、酸素が大好きなαプロテオバクテリアさんは、あたしの酸素を使って、その全ての生きもののいのちのエネルギーを、誠実に生成することに専念するの。

そしてつまり、アンタたちはこれからお互いに信頼しあい、助け合って生きる新しいひとつのいのちとなるのね。

そして永遠に生きてゆくのよ。 

あたしは海にこのまま残るけど、ゆくゆくはアンタたちの新しい、助け合ういのちの中にも入っていく(=葉緑体)。

そして陸にも上がり、そこでしっかり根を生やし(=植物界)光合成を続けるの(=独立栄養生物)。

アンタたちも、そのまま海に残るけど、またいっぽうではだんだんと陸にもあがっていって、動き回る生き物(=動物界)としてのいのちの発展と進化を続けるのね。 

ところでアンタたちは、何でもかんでもとにかくほかのいのちを取り入れて、自分の体の中で燃やして生きる定めにあるから(従属栄養生物・食物連鎖)アレコレ大変だと思うけど、ま~そこのところはよろしくやってね。 

するとメタン生成細菌は、大きくよっしゃわかった、と力強い笑顔で頷き、αプロテオバクテリアも、優しく微笑みながらそっと頷きかえしたのでしょうか、ふたりはすぐにその場でするっと合体して、新しい助け合って生きるひとつのいのち(=真核生物)となったのだとか、まずここまでの話の限りでは、めでたしめでたし、と言えるのではないでしょうか。

おまけの話ですが、ちょうどその時、待ってましたとばかりに原始の地球がどかーんと大きく揺れ、真っ赤な火を噴き出しはじめたとか。

あたかもふたりの出会いと、新しい助け合うひとつとなった、いのちの発展と進化への歴史への旅立ちを祝うかのように。

そしてのちのちに、わたしたちの山河となる大陸が生まれ、同時に海溝や海淵からせり上がる大洋が生まれ、そこに海流が生じ、ダイナミックな生命の発展と進化のベースができ、というように、今日の私たちの生きる現代へと続く、悠久の歴史が本当に歩み始めたことになります。

植物になって、最初に太陽の光が差し込む浅瀬の海から上陸したのがイネ、しかしその後なぜかまた元の浅瀬の海に帰ることにしてしまったのが、イネの仲間だったアマモです。 

動物となり、しかしその後アマモとの共生を選んで浅瀬の海へと戻ることにしたのが、ジュゴンです。

よく晴れた日の藻場に、ふと何かに誘われるように立ち寄り、緑色に染まった視界の中に、ただなんとなくボーっとしてたたずんだりしていると、眩くキラキラとアマモの原に降り注ぐいく本もの太陽の光の束が、ゆらゆらと私のからだの周りでも遊んでくれる。

そんな時、もしあなたがラッキーならば、ふと見上げるみどりの視界の先、水面のあたりに漂う、少し太っちょの白い影を認めるかもしれません。

その白い影は、何かをためらっているかのように、ゆらりゆらりとした動きを水面のすぐ下で緩やかに繰り返していて、おそらくはそよぐ波にあわせて息継ぎをでもしているようす。

そのうち、ほんとうにわずかとしか思えない程の息を、それでもつぎ終えたかと見えて、少しばかり頭をすっと水面下に沈めると、同時に鯱のようなキレある姿の尾鰭を舞うようにしならせてゆるやかにいちどだけふわっと水を煽る。

するとその影は、ふっと水の中に身の丈ほど降り、そのまま動きを止めたかと見るや、そこで周りの緑の水との絶妙な均衡が生じ、まさに水の一部となりきって緩やかに水底(みなそこ)に向け沈みこんでいく。

ジュゴンは見るからに優しいたたずまいの、美しい海の生きものです。

その艶やかで、白く滑らかな体のおもては、ただひたすら海に直に触れ、そして海の中で共に生きる、多くのいのちのいぶきやはなやぎを聴くことができる、繊細な感性のみをその肌にまとい残しているよう。

外敵への恐れなどは微塵もなく、そしてなんと自らの身を守ろうとするような気配すらもない。

そのつぶらで澄み切った瞳は、ほとんどの動物が、生き延びるための定めにより持たざるを得ない、恐れや怒り、果ては喜びや悲しみなど、いわばいのちが欲望と化す時の、あらゆる光の乱れを、完璧なまでに捨て去っている。

そして、陸の王にすらなれたかも知れない、気高い素性の名残を残す、少し長めの鼻先き、食(しょく)のけじめを凛と漂わす、やや固めに結んだ口元、水の中での繊細な振る舞いのためのみに使われる、華奢で小ぶりな胸ビレ、そして時には大きくしならせることもできそうな、力を秘めた胴部から続くなんとも粋でキレのある尾鰭、ふと、胸ビレの陰に覗かれる、小さな蕾のような乳首が儚くも愛くるしい。

母は、その子が母になるまで、10年あまりの長い歳月をかけて育み続け、そして70年余りという個体の歳月を全うして、次世代への命を繋ぐという。

ジュゴンは、生存競争や、弱肉強食の掟がはびこり、身を焦す火に追われる陸の上でのいのちの営みに、いつしか見切りをつけたが故に、海の中へと戻ってきてしまったのだろうか。

そしてアマモはといえば、陸の上での種子による営みの定めを保ちつつも、なぜか火のない水の中、遠い、真っ暗な深海までへと連なる、原始からのいのちの連鎖が始まるところ、燦々と太陽の光が差し込む浅瀬の海へと戻って来てしまったかのよう。

共に種の定めに従い、一旦は陸に上がったものの、いのちのあるべき姿を求めつくしたあげく、再び陸を離れ、太陽の光さす浅瀬の海に戻ることにした、その畏るべき勇気ある選択、それ故に今は海に包まれ、今という時の最中に、いつまでもはなやぎ続けるいのちとなり、水の中である時は凛として佇み、ある時は優雅に舞う、このような美しい姿となったのかも知れない。

真に威厳あるいのちとは、そのようなものに違いない。

数十億年という、お伽話のような悠久の時空をさかのぼった彼方で、かつて、透き通った緑の妖精シアノバクテリアが取り持った、新しい助け合ういのちの誕生の記憶が、このジュゴンや多くの海のいのちが集う、アマモが作り出す藻場の風景のなかに、遠い面影のようにして、光の束の中で揺らいでいる。

そしてそのジュゴンは、ひとしきりアマモの原に砂煙(すなけむり)の筋を付け回した後、いつしか現れたのか、一匹のアオウミガメと、何か冗談でも言い合っていたのだろうか、ただ微笑ましく戯れ合いながら、沖へと続く緑の視界の中で、再び白い影となり、そして溶けて見えなくなった。

ふと、アマモの藻場の、緑いろの水の中に残されて、ただ太陽のキラキラとした光の束に、ゆらゆらと遊ばれ、緩やかに息をつないでいる自分自身に気づく。

私の周りでは、きっとあちらこちらで緑の妖精ユレモをはじめとする、多くの植物プランクトンたちが、ワイワイガヤガヤと、皆一生懸命に光合成に精を出しているに違いない。

こんな日は、アマモの原を抜けだし、渚を這い上がって陸に上がり、一息つぎながら、ウェットスーツに張り付いた、竜宮の乙姫の元結の切れ外しを、一枚また一枚と剥がしていると、渚を繰り返し行っては来たりする波の音が、耳の奥でいつまでも聞こえ続ける。

あ、アレはもしかして、乙姫だったのかも知れない。

つづく

さわみしん

投稿者:

さわみしん

ボルネオ島の出入り口、ブルネイにいます。世界最古の生態系を誇る熱帯雨林を背に、前に南シナ海が開けています。ここはアジア・モンゴロイド圏のほぼ中央に位置し、古くより四方との交易の要所の役割を果たしてきました。 そして多くの民族や文化の交わりが幾多の波乱の歴史を産み、今もその躍動は継続しています。 南方にはスンダ列島、そしてはるか東方には台湾や日本が臨まれます。 

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中