
梅栄丸は、鹿児島県日立造船桜島造船所にて、1944年3月に建造された、日東汽船株式会社(東京都)所有の、大型オイルタンカー です。 全長93.5m、船幅13.8m、排水量2858トン、スチームタービンエンジン搭載、トップスピードは11.5ノット。 ブルネイは、太平洋戦争のさなか、日本とシンガポールを結ぶシーレーン途上にあって、石油を豊富に産出する、戦略的な要所でした。 少し遡ること1941年、太平洋戦争の開戦当時、それまでの統治国であった英国は、日本軍の侵攻からのがれて退却する際に、セリアとミリの油井を破壊することにより、日本への石油の供給を断とうと試みましたが、日本は、これらの油井の修復を行い、ブルネイにおける石油生産は継続されていました。 太平洋戦争が末期となる、1944年10月22日、フィリピン・レイテ沖での戦いに向け、ブルネイから、戦艦大和、長門、武蔵、重巡摩耶、鳥海、高雄、愛宕、羽黒、妙高など、多くの戦艦が艦隊を組み、出陣していきました。 これら先陣に赴く、多くの戦艦に燃料を補給するため、同様に、多くの大型オイルタンカーが、ブルネイを拠点に、活動をしていました。 厳島丸(1944年10月27日、ボルネオ島北方で沈没)日豊丸(1944年10月、クダットで沈没)、大室山丸、両栄丸、万栄丸、ゆうほう丸(1944年11月26日、セリア沖で沈没)、愛宕丸(1944年11月3日、ミリ沖で沈没)、万栄丸(1944年11月6日、ブスアンガで沈没)など。 そして、梅栄丸は、ブルネイとマレーシア・プラウクラマンとの間に横たわる、ムアラ海峡の中央部において、1944年10月28日、記録によれば、当日朝7時30分に触雷、午後10時55分に沈没、3名の乗務員が、その時の爆発によって、犠牲になったとあります。 ムアラ海峡は、未だボルネオ島が陸地となる以前の、太古の時代に、現在産出されている化石燃料(石油・ガス)のベースとなる有機物を大量に流しこんだ、古代河川の名残で、深度50mから最深部で約130mに落ち込む海溝を形成しています。 梅栄丸は、ブルネイシェル石油会社が、資源探索のため、高解像度での深度調査を行っていた際に、偶然発見され、その後2008年6月、ブルネイのBSACダイブクラブの、少数のダイバーによる実地調査で、梅栄丸であることが確認されています。 梅栄丸は、船腹を真上にし、海溝の崖淵に引っかかるような形で、傾斜した砂泥の上に、全身にソフトコーラルを纏い、着底しています。 深度は約55mから最深部で約65m。 船首部右舷に、触雷でできたと思われる開口部があり、貨物室(?)へのペネトレーションは可能です。シングルシャフトの、直径3mほどのプロペラも健在です。 しかし、沈船の形態から、ショットライン投入は容易ではなく、また、海溝であるため、水中環境は暗く、透明度も通常あまり期待できないせいもあって、未だ、この沈船・梅栄丸の詳細はわかっていません。
