沈船 米国海軍掃海艇 USS Salute AM294 1945年6月8日沈没

USS Saute AM294は、全長60メートル、排水量6265トン。1800馬力ディーゼルエンジン搭載の米国アドミラブル級掃海艇です。 1942年11月にワシントン州シアトルにて建造され、1943年2月に進水、当初は真珠湾とミクロネシア海域の間を行き来する、米国海軍艦隊の護衛艦としての任務にあたりました。 

その後、太平洋戦争の戦局の変化に伴い、1944年10月8日に、米国第7艦隊に配属され、同20日、米軍機雷部34の所属となり、レイテ湾輸送ルートの掃海等の任務を開始します。

記録によれば、USS Salute AM294は、同10月27日から31日にかけて、米海軍の護衛艦隊や爆撃機とともに、サマール沖海戦後の生存者捜索と救助に当たり、その間はゼロ(=カミカゼ)による特攻も含めた、日本軍の激しい攻勢にあったとされています。

さらにその後の数ヶ月間は、フィリピン・レイテ周辺における主要な戦闘地域、オーモック湾、ミンドロ地域、スービック湾、マニラ湾、さらにはパラワン地域など、多くのフィリピンの上陸地点での掃海や警備等の任務を継続して遂行します。

そして1945年6月8日、ブルネイ湾において、連合軍が侵攻する直前の掃海作業中に、日本軍が敷設しておいた機雷に船体中央部を触雷させて沈没。 居合わせた上陸用船艇2艘が救助に当たりましたが、結局9名の水兵が犠牲となりました。
 
前出の今治丸の南方約1.4キロ地点、水深約35メートルの砂泥の上に、USS Salute AM294は、触雷による破壊の凄まじさをいまだに生々しく物語る姿で着底しています。  甲板上には未だに砲弾などが散乱し、掃海艇内部の構造物や機材の多くが瓦礫のように露出しています。

触雷によって作られた亀裂の隙間から、もしくは船尾側デッキ上の開口部からのペネトレーションは可能ですが、掃海艇の構造上、厳しいリストリクションを経由することになります。

USS Salute AM294には、のちに米国より、彼女の太平洋戦争末期におけるこれら極東での多大な功績に対し、”5バトルスター” の称号が与えられました。


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