海とこころ

忙しく、慌ただしい都会の日々。

いつも目先の出来事や、アレコレ飛び交う情報などに追われっぱなしで、落ち着く暇もない。

でも、一方では、まわりの人の目線が、なんとなく気になったり、いつのまにか、ソワソワドキドキしている自分に、ふと気が付いたり。

そして、街に出れば、いつもそこは噪がしく、息がつまるような唄ばかりに満ちていて。

そんな毎日の連続で、いつしかこころが荒れ、自分自身のこころの在り処を、亡くしている。

もし、あなたがダイバーなら、そんなとき、よし、海に行こう、海に潜ってふーっとひと息ついてこよう、などと思うのではありませんか?

私たちが生きる現代は、なかでもとくに都会暮らしの人々にとっては、それぞれのひとのこころが、いつしか何処かへ、失われてしまっているような時代、とも言えるのかもしれません。

では、ここで言う、自分のこころの在りかとは、一体どこにあるものなのか、ちょっとだけ、考えてみましょうか。

自らの心、と漢字で書いて、縦にそれを置き換えると、息(いき)、と言う文字になります。

そう、自分のこころの在りかって、一体どこにあるの?  という問いの答えは、もしかすると、どうやらこのあたりに有るのかもしれません。

私たちの、忙しく慌ただしい、現代の生活の中で、私たちの息は、まわりの出来事に反応して、その時々により、様々な表情をして見せます。 

息を飲む、息が詰まる、息が上がる、息が止まる、など。 

さらに、息をこらす、息をつめる、息を細める、息を放つ、などなど。 

ほとんどは、無意識のうちに、でもある時は、意思を持って。

私たちだけではなく、ふと気がつけば、生きているものは、すべてが息、すなわち、呼吸をしています。

呼吸は、それらの生きものたちが、それぞれに外から酸素をとり入れ、各々のからだの中で、炭水化物を燃やし、そしてその結果生じた2酸化炭素を、また外に送りだすという、言ってみれば、生きているものすべてが行う、いのちの炎を燃やし続ける、とても大切なからだの自然な営みです。 

でも、しかし、こんなに多くの様々な表情を持つ呼吸を行っている生きものは、もしかすると、私たち人間だけなのかもしれません。

呼吸をする生きものが、いのちを営んでいるところは、陸か海かを問わず、また、それが動物か植物であるかも問いません。

私たちダイバーが潜る海の中も、みなさんよく知っての通り、大小のとても多くの生きものたちで、満ちあふれています。 そして、そのほとんどすべてが、呼吸をして、それぞれのいのちを育み営んでいます。

たとえば、小さいものでは、植物プランクトンもしかり、あまりに小さいため、それぞれの姿を、直に目で見ることはできませんが、海の水が、緑いろに染まっているところは、そこが、多くの植物プランクトンのいのちで、ぎっしりと埋めつくされていることの証しです。

この、水の中のプランクトンの多くは、小さいながら、陸の植物と全く同じように、からだのなかに、緑いろをした葉緑体を同棲させていて、それが水中の2酸化炭素を取り込み、光合成で炭水化物を作り、水中に酸素を放出するかたわら、プランクトン自体は、それとは正反対に、呼吸により、水中から取り込んだ酸素を使って、その炭水化物を燃やし、そして、2酸化炭素をまた水中に放出するという、なんとも見事に一心同体となった、ひとつのいのちを営んでいます。

そして緑いろに染まる、視界の水底(みなそこ)には、もしかすると、アマモの群落などが、太陽の光を受けて、ゆらゆらと、揺れているかもしれません。 どういう謂れなのか、定かではありませんが、竜宮の乙姫の元結の切れ外し、とも呼ばれる、このイネ科の植物であるアマモは、お米や麦が、ふつうに陸の畑での呼吸にために、葉や茎にそなえている気孔を、そのまんま、水中でも上手に使えるように、適応させてしまい、何食わぬ顔をして、水の中での暮らしに、すっかり溶け込んでいるようです。

そして、アマモはなぜか、小さな生きものを、とても惹きつけるらしく、そのスラリとした葉の上では、カマキリにそっくりなワレカラが、プランクトンを求めて、ピコピコと動きまわっていたり、その傍らでは、いつ紛れ込んだのか、透明なエビの赤ちゃんのようなオキアミが、一人前に、その10本の足を、フル稼動させていたり、さらまた、根っこの方では、横歩きが得意らしいヨコエビ君たちが、何かを美味しそうに、ガツガツと貪り食っていたり。 みんな、それぞれが、水の中で生きてゆく、呼吸の仕組みを持ちながら、それこそ息切れなんてする暇もないデス~、とばかりに、一生懸命食べることに大忙しのようです。 

いっぽうのダイバーが、海で出会う魚たちは、皆さんよくご存知にように、その鰓を出入りする、海水の中の酸素を体内に取り込み、からだを動かした後の二酸化炭素を、また鰓から海水に放出するという、いわゆる鰓呼吸をしています。 

魚たちの多くが、その口と鰓蓋(えらぶた)を、互いに動かしながら、海水の流れを作って、鰓を通すことを繰り返しています。 

魚たちにとって、私たち人間と同じような、感情の起伏など、もしかしてあるものなのでしょうか。

海という、厳しい自然界の、食と生のサイクルの中で生きる魚たちは、その時々におかれた、環境や条件に、その都度敏感に反応して、確かに、様々な生態の表情を、見せてくれます。

もし、あなたがダイバーならば、たとえばサンゴ礁のような、明るい光に満ちた環境で、胸ビレをゆっくりと動かしながら、退屈そうに、海水をパクッパクッと飲み込んでいたり、かと思うと、通りかかった手頃な小エビなどに、しめたっ、とばかり、いきなりアタックしたり、といった魚君たちの光景を、目にすることも多いでしょう。

また、潮のガンガン当たる、岬の先端などで、ふと見ると、大きなメジロザメが、なんとも絶妙の中性浮力を見せつけながら、強い潮の流れのど真ん中にいて、それでも全く慌てる様子などもなく、むしろのんびりまったりしているようなのを、見かけることもあるかと思います。

そんな時の鮫兄は、その眼差しは、いつものように、ドヤッとキメていながらも、その口はといえば、ただぽわっと半開きにし、その鰓孔(えらあな)の綺麗な連なりを見事になびかせながら、酸素をたっぷり含んだ、パワフルな潮の流れと一体となって、もしかするとご当人は、あ~ええ気持ちやねん、とか、思っているのかもしれませんね。

話はそれますが、魚編に思う、と書いて鰓(エラ)、と読ませるのは、ちょっとシャレていると思いませんか? 魚たちにも思い、というものがあって、それが魚たちの呼吸の器官である鰓にある、とでも昔の人は考えたのでしょうか。 

ではこの辺で、そろそろ、私たちヒトの呼吸が、一体どうなっているのかを、見ていきましょう。 

私たちは、魚君たちの鰓呼吸とは異なり、肺を使っての呼吸、すなわち肺呼吸をしています。

これもまた、いつか中学校あたりで習ったことかと思いますが、はるか太古の昔に、海から陸に這い上がってきた脊椎動物が、私たち人類の、遠いご先祖さまの系譜にあることは、皆さま、よくご存知のはずです。

その、永い年月をかけた、上陸の過程で、水の中での呼吸器官であった、鰓に連なる鰓腸(サイチョウ)という部分が、進化してゆき、そして、私たちの陸の上での呼吸器官である、現在の肺の姿となりました。 

が、しかし、その肺は、その進化の過程からみてもわかるように、その機能としては、魚たちの鰓と同じに、受け身で働く内臓の器官のままでしたので、当然それ自体、つまり、肺そのものだけでは、陸の上で、楽々と空気を取り込み、酸素を体内での代謝に使うことなどは、できませんでした。 

潮の~流れに~身を任せ~、などと鼻歌を歌っていられた、魚時代の頃のような、海の中での海水の動きに頼り、その力を借りて行う鰓呼吸とは異なり、陸の上では、風船のような肺を、空気の出し入れのため、自ら進んで萎ませたり膨らませたりと、あたかもポンプのように活動させることが、必要になってきました。 

私たちの生命の、はるかな歴史の中での不思議は、海から上陸してきたいのちに、その肺が、自ら進んでポンプ活動するための装置を授けました。 それが、現在の私たちの肺を取り囲む、呼吸のための筋肉や横隔膜です。 

この呼吸筋や横隔膜に、命令を出して、肺に萎んだり膨らんだりの、ポンプ活動を、途切れることなくさせてくれている司令塔が、私たちのアタマの後ろ、延髄にある、鰓脳(さいのう、英語ではGill Brain)です。 読んで字のごとく、かつての魚時代の、鰓呼吸をつかさどっていた司令機能が、そのまま、現在の、私たちの肺での呼吸の司令機能へと、受け継がれているのです。

私たちが、夜眠るとき、手足や胴体の筋肉などは、共に眠ってしまっていますが、呼吸のための、これらの筋肉や横隔膜だけは、この鰓脳の支配の元、私たちのいのちを保つため、それこそ寝る暇もなく、働き続けてくれています。

つまり、鰓脳は、太古からのはるかな時をかけ、魚たちの時代を経て、陸に上がり、ようやっと人類となった私たちの、アタマのなかに今も有って、その役割を少しも変えることなく、呼吸という大事な私たちのいのちの営みに、司令を発し続けてくれています。 

そんなふうに考えるとき、私たちのからだのうちには、もしかして、あの魚たちのかつての鰓の、はるかかなたの遠い面影が、実は今だにしっかりと宿っている、と言えるのかもしれません。 

さて、ここでのとても偉大な事実であり、そして私たち、ヒト、人類にとって、なんとも画期的だった出来事は、この呼吸のための筋肉や横隔膜が、私たちの手足などの筋肉と同じもの、つまり、私たち自身のアタマ=考える脳からの指令でも動かすことのできる、いわゆる随意運動筋であったということです。

このことは、いのちの営みにとって、欠かせない呼吸の機能は、本来その自然の由来からして、私たちの意思では、どうにもならない機能であるにも関わらず、それをいのちの本能をつかさどる、鰓脳だけに全く任せきりにし、支配管理させるばかりにしておくのではなく、同時に、私たちのアタマ、つまり考える脳(=大脳皮質)によっても、支配管理ができるようにしてしまったことを意味しています。  

言い換えれば、私たちのご先祖様が、はるかな昔に、大地を二本の足で踏みしめ、すっくと立ち上がった時、私たち、ヒト、人類に、自分自身の呼吸の支配管理を可能とする、もうひとつの主体が生まれました。 そう、それが自我というもの、自分自身への思い、すなわち私のこころです。

いのちを司る、いのちの本来の自然機能である呼吸、そして、そのときどきに様々な表情を見せてくれる息というものを、私たちは、あるいは私たちだけが、自らの意思を持って、感じ、聴き、見つめ、動かし、そしてときには声に出して唄うなど、自ら自身での管理や支配を、ひいては表現することすらも、このときからできるようになった、ということになります。 

しかし、ふと気がつけば、私たちが生きる現代は、なかでもとくに都会暮らしの人々にとっては、文字通り、息つく暇もなく、それぞれのひとのこころが、いつしか何処かへ失われてしまっている時代のようです。

私たちダイバーが、普段の生活の中で、ふとなんとなく、こころを取り戻したい、というような気持ちになった時、よし、海に行こう、海に潜ってふーっとひと息ついてこよう、などと思うのは、もしかすると、自分自身の息を取り戻したい、という衝動が、いつしかこみ上げてくるからなのかもしれません

ダイビングは、潜水器材を使って海に潜るという、いわば娯楽としてのスポーツの一種にすぎないのですが、潜るヒト、ダイバーにとっては、海の中という、空気の無い、私たちの肺での呼吸が本来は全くできない、いわば完全に閉ざされた環境に、器材を使い、目的を持ち、意図的に入っていく、というスポーツでもあります。 

ダイバーが行う、海の中での活動には、普段の日常生活では、殆ど気にすることが無い、自らの息・呼吸というものを、しっかりと自分自身で意識し、把握し、そして出来れば上手に管理することが、自ずから必要不可欠になります。

これは、他のスポーツには見られない、ダイビングだけの特殊性、とも言えるのでは無いでしょうか。

こころを荒らし、こころを亡くしているような、この現代、都会の噪がしい、息が詰まるような雑踏から抜け出し、海に来て、多くのいのちの営みを包み込む、とても大きくて広い海というものの片隅に、私という、もうひとつのいのちが、ポカリと浮かび、自分の素肌で海に触れ、それを感じ、息を深くは~っと吐いて水面をくぐり、水の中に入り、す~っと息をつぎ、そして海に溶け込む。

海のなかで、自らが、静かに繰り返す息に、しばらく耳を澄ませていると、自らの、いのちへの思いが生まれ、海に触れながら、海を感じ、海にすっぽりと包まれて居る、自分自身の存在感が、否応無しに、蘇ってくる。 

息に、自分への思いが重なり、息と、自分のいのちが重なり、自分のいのちが、海と重なり、自分自身が、すでに海そのものであるような、海との一体感が、いつしか湧き上がってくる。 

私の息は、私のこころの表れ、この私自身だけが、この私の息、こころのリズムを、操ることができる。

自らの、こころを持つ、唯一の生き物が、私たち人間であり、その確かな実感が、海の中で、ダイビング=海に潜る、という行為によって、とても鮮やかに、甦えってくる。

忙殺され、これまで拘えられていた、瑣末で疲れるばかりのアレコレ、現代社会の生み出す、あらゆる無駄な思いから解放されて、私たち自身のいのちのみなもとに還り、ひと時を、海のなかで過ごす。

そしていつしか、けっこう私だって、まんざらではないかも、という思いが、沸き立つ。 

自らを、そのまま、暖かく受け入れることのできる、もう一人の自分が居る。

つづく。。

さわみしん


投稿者:

さわみしん

ボルネオ島の出入り口、ブルネイにいます。世界最古の生態系を誇る熱帯雨林を背に、前に南シナ海が開けています。ここはアジア・モンゴロイド圏のほぼ中央に位置し、古くより四方との交易の要所の役割を果たしてきました。 そして多くの民族や文化の交わりが幾多の波乱の歴史を産み、今もその躍動は継続しています。 南方にはスンダ列島、そしてはるか東方には台湾や日本が臨まれます。 

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